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  • 執筆者の写真nobuhiro nagai

棍棒からゴルフクラブ、そしてハンマー!~①

今から25年前の1994年秋。私は6ヶ月の短期ビザを取って、アメリカにゴルフ留学しました。


最初の2ヶ月はコロラドに滞在してアメリカでの生活を学び、12月からフロリダ州オーランドへ動いて本格的なゴルフの研修に入りました。


先ずはデキシーアマというアマチュア競技に参加。この試合は前年度の2位がタイガー・ウッズで、歴代優勝者にはラニー・ワドキンスやジェスパー・バーネビックらが名を連ねる招待制のトーナメントです。


先輩から教えて頂き、コロラド到着後直ぐにトーナメントの主催者宛に「アメリカにゴルフを学びに来ているから是非出場させてほしい」というレターを書いて送ったら、しばらくするとインビテーショナルカードが届きました。


12月中旬、デキシーアマ参加の為、フロリダ州フォートローダーデール郊外のリゾートゴルフ場に入りました。予選は36ホールのストロークプレーで、決勝ラウンドは上位選手のマッチプレーというトーナメント。


指定練習日には大勢の参加選手のスタートを、コースのロゴの入ったくたびれたポロシャツを着て大きなダミ声でカートに割り振るヘッドプロが印象的でした。そのヘッドプロに「ナギー!」と呼ばれてカートにゴルフバッグを積み、スペインからアメリカのカレッジにゴルフ留学している大学生2人とプレーしました。


プレー後、ホテルのバーに行ったところ再び「ナギー!」と呼ぶ声が…。


上品なグレイのスーツをビシッと着こなして、グラス片手で私に微笑んでいたのは、昼間スタートを仕切っていたダミ声のヘッドプロでした。


グラスを持った手から見えるドレスシャツの袖口は、宝石をあしらったカフスボタンで留められていました。イメージ的には麻生太郎さんくらいでしょうね、あのダンディさは。


ゴルフプロとはこう言うモノなんだな、と学ばせて頂きました。残念ながら日本でこう言うカッコいいプロゴルファーに出会えていません。


その後はオーランド郊外のウインダーミュアーCCで練習させて頂きながら、当時全盛だってミニツアー「トミーアーマー・ツアー」にアマチュアとして参加しました。この頃のトミアーマー・ツアーにはジュニア時代の今田竜二選手がコーチと2人で参加していました。


後で聞いた話しでは、その頃のウインダーミュアーCCでは、デビッド・デュバルも練習していたそうです。


年が開けての1995年1月には、恒例のPGAショウがオーランドで開催されて見学に行きました。


その時に近くのゴルフ場で、今は亡きゴルフ界の奇才モー・ノーマンのデモンストレーションを見る事が出来ました。


約40分くらいのデモでしたが、まさに「パイプライン・モー」の呼び名どおり、ウエッジからベアグラウンドでの直ドラまで、全てのショットがクラブフェースの芯でコンタクトされたストレートボールでした。


使っていたドライバーは、たしかキャロウェイのビッグバーサ。チタンではなくステンレスで、時期的にはウォーバードが出た頃でしたが、初代ビッグバーサだった様な気がします。


晩年期は「あのモー・ノーマンもミスショットが多くなった」などと言われていましたが、私は完全なる「パイプライン・モー」のデモを見る事が出来ました。自分のゴルフ史の貴重な体験です。


そのデモを主催していたのが、ナチュラルゴルフというクラブメーカーでした。この会社の関係者が唱えていたのが「ハンマー打法」。日本でも和訳されてレッスン書が発売されました。


ナチュラルゴルフはラグビーボールを小さくした形状の、ゴルフボール1個分くらいしかない独特のパターが印象的です。


さて、そんな訳で、ゴルフでハンマーを例えに出すと、またこの「ハンマー打法」のバイアスがかかりますが、私が言うハンマー型とは全く異なります。


前回の記事で、ハンマーを持つ時に左右の手を離し、ハンマーヘッドに近いところに右手を添えて動作をする事を考えると、右手が節や支点の役割をしていると説明しました。


しかしながらゴルフスイングを、このハンマーを持つ時と同じスプリットグリップで行う事は出来ません。


なので、節にあたる機能や感覚をゴルフスイングの中に作って行くと言う方向で、しばらくこのブログは進みますが、その前にゴルフクラブはハンマーなのか?という点を考えてみたいと思います。

先週、11月度の奈良グレージレッスン会でしたが、その際に中古市場の流通品でお店にあった2本のゴルフクラブ。


もちろん現代においては実用性の無いヒッコリーシャフトのドライビングクラブに、方や最先端のM6です。


これを道具として成り立ちなどを考察してみましょう。


15世紀頃には既にゴルフらしき遊びは、ユーラシア大陸の各地で行われていたと思われます。


セントアンドリュースにあるR&Aのミュージアムには、中国でゴルフらしき遊びに興じる様を描いた古い壺が展示されており、それはある意味R&Aがゴルフのルーツのひとつとして認めたとも思えます。



この壺に描かれている絵図を拡大したのがコチラ。



手にしている道具を見ると、現代の感覚で言うゴルフと何ら変わらないですよね。


また一方で、



と言う説もあり、たしかにこれはリンクスランドとゴルフの融和性を鑑みると、正しいと思います。リンクスランドにはそのままゴルフコースになる様な地形で溢れています。



となると、中国のソレはかなりゴルフ的であり、羊飼いのソレの方が原始的であると言えます。


それは道具の違いです。羊飼い達は棍棒で小石を打っていました。対する中国の壺に描かれた絵図で手にしているのは棍棒ではなく、ゴルフの歴史的に言うとロングノーズと言われる形状てす。


こうして見ると、ロングノーズにはオフセットが入っていますよ!ヤマハはUD +2シリーズでオフセットの入ったドライバーの新境地を開拓し、今回リミックスのドライバーでもオフセットを採用していますが、もうこの頃からゴルファーを助ける為のオフセットは機能していたんですね。 とりあえず今回は、ゴルフらしき遊びの道具であった棍棒から、ゴルフクラブの原型まで進化した辺りを考察してみましたが、かなり遠い昔の話しです。 棍棒の先にボール(小石から木球を経てフェザーボールへ)を捉えやすいように面を作ったのがゴルフクラブへの進化。そこからは、その形状をベースとして、いかに打ち易くするか?の工夫が始まっています。 手にする道具を基準に考えると、やはり棍棒の頃はゴルフではなく、棍棒の先に面を作り、そこに何らかの機能性や打ち易さを織り込む様になってからがゴルフなんでしょうね。


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